実は専業農家を目指した事もあった話 ~前編~
このブログはタイトルの通り、現在も現役で農業を営みながら農家を辞めようとしている者が運営しているブログです。
そんな自分ですが、過去には兼業農家を脱却して専業農家として自営自活できないかと模索した日々もありました。
結論から言うと『専業農家にはなれない』でした。なれなかった…ではなく、なれない…と、言うのが重要なポイントです。
この話は結構長くなりそうな気がするので、予め~前編~というくくりから始めていきたいと思います。
兼業農家は時代が許さなくなってきた
現在も兼業で米作を中心に小規模な農業経営をしていますが、なぜかつて専業を目指したかと言いますと、『世間的に兼業農家を続けるのが難しくなった』事が最大の原因です。
兼業農家なので普段は別に本業(会社員)をもって生計を立てています。米王国と自称する新潟では、会社員をやりながら(殆どが土木などの外仕事)仕事の合間を縫って田んぼをやっている農家が多いです。
農業にはシーズンを通してある程度まとまった作業が発生するタイミングがあります。米作の場合田植えと稲刈りがそれに該当します。
近年では田植えに関しては、5月の大型連休を利用して家族総出で田植え作業を行う事が一般的になり、初夏の風物詩のようになりました。このタイミングで田植えを行う理由は一つ、あえて会社に休みを頼まなくても休日が纏まっているから。そして家族や親戚なども同じように休みだったりするので人手の確保も容易にでき、作業を効率よく進める事もできて何かと都合が良かったからなのです。
因みに本来…というか、かつて田植えは6月に行うものでした。現代では強い品種も開発されたり、温暖化の影響もあるのか、そこらへんは融通が利いているみたいです。
あとは稲刈りの時なのですが、実はここがスケジュールのやりくりが一番大変です。稲刈りはいつでも行えるワケではなく、自分はこれまで可能な時に会社を早退して稲刈りを行っていました。当時働いていた会社はそれを理解してくれていたので本当に助かっていましたが、こんな会社まず無いと言い切れます。
『農家なんか頑張らなくていいから仕事を頑張ってくれ!』
何度言われた事か…。勿論、会社は悪くないと思っています。悪いのは兼業農家です。
コレは何も自分だけが言われたのではなく、他にも言われている人を何人も見てきました。陰口叩かれるのなんて日常茶飯事。当然です、皆休まず仕事をしているのに、なぜ仕事を休んでまで農家などやるのか。会社や、他に働く社員からしてみたらおかしい話ですよね。冷静に考えれば分かる事です。
昭和の頃はまだそこまで言われる事は無かったようですが、平成に入ると多く言われるようになったようです。
余談ですが、バブルが弾けた頃から『兼業農家に理解がある会社』の多くは倒産したそうです。自分の義父も、当時働いていた土木業社が、義父の道具ごと夜逃げしてしまって大変だったそうです。そりゃそうです。時期になると社員の殆どが一か月くらい休んでしまうので仕事ができません。そんな時代もあったのです^^;。
農家お断り
さすがに露骨にこんな事言う事はありませんが、面接の時にちゃんと話しておかないといざと言いう時に休みが確保できないので、『農家である事』と『そのためにまとまった休みや突然の休みを取る必要がある』事を話しておかないといけないのですが、当然それでいい顔するはずがありません。
『なんだよコイツ…仕事する気ねぇのかよ…』漂う空気…。『ウチで働くのも良いけど、会社休まれちゃ困るんだよな…』。
ごもっともです。反論の余地はありません。
因みに外仕事って、基本的に休みは週一回なんです。多くの会社が日曜日以外は土曜日だろうが祝日だろうが休みません。昔と比べると働き方改革のお陰で多少マシになったようですが、それでも休まず働くのが美徳になっているのは確かです。
そんな状況で農家やってたら…
当然詰みます^^;。いやむしろ過去二回詰みました。農業やらなかったら農村では暮らせません。『兼業農家は物理的にムリになっていく…自立しなければ!』。会社との両立は今後ますます難しくなっていく。それが専業農家を目指した理由でした。
専業農家になる為に起こした行動
自営で専業農家をやるって事は、普通に起業するのと同じと考えて良いです。商品を作り、お客を探して、流通の仕組みを作る。そしてそこから収益を得て、会計ソフトを使い、青色申告をしながら、納税をし所得を得ていく。一般的な企業が行っている普通の経済活動をするわけです。
因みに兼業農家ですと、商品を作る事と納税する事以外はアウトソーシングしている事が多いです。
まずは情報収集から!
何事も事を始めるにあたって、情報を集める事からスタートすると思います。専業農家になる為にも、まずは『どうやったらなれるのか?』から情報収集を始めました。
現状の洗い出し
現役で兼業農家を営んでいるので、まずはそこの部分から洗い出す事にしました。農家として何を持っていて、何ができるのか。
- 米作の為の機械一式(トラクター、田植え機、コンバイン、乾燥機など)
- 自家所有の水田2ha
- 自家所有の畑地10a
- 営農に必要な資材(ビニールハウスやネットなどの作業資材)
逆に今現状無い物も洗い出しました。
- 資金(一年分の生活費も含めると200万円は必要)
- 専業で営農するのに十分な農地(あと5haは必要)
- 作物の出荷販売先
ベースが兼業農家なので、真っ新な状態から始めるよりは当然有利でした。『これなら何とかなるかも…』当時はそう思っていました。
農地の確保はどのようにする?
さすがに自前の農地分で専業になれる程世の中甘くはないので、原資になる農地の確保は外せませんでした。水田だけでも最低10ha。つまり10町歩は無いと生計は立たないです。
10haの水田で見込める『売り上げ』はおおよそ1,000万円程ですので、経費や税金や社会保障費など考えれば手元に残る収入は300万円未満…コレで家族5人を食わせるのは大変です^^;。
農地の貸し借りや売買は、基本的に管轄する農業委員会を通して行わなければならないようになっています。農地の貸し借りはトラブルの坩堝なので、第三者が入った方が一先ずは安心でしょうが…。
畑の貸し借りは個人間でもあるが…
小規模な畑程度なら個人の話し合いで適当に貸し借りしたりする事もありますが、マジでおススメしません。ある日突然『返してWw』ってくるのでマジでおススメしません^^;。
これは実際にあったのですが、収入を得るためにと言って畑を借りたのに、沢山植えられたピーマンを見て『アイツは人の土地で勝手に商売してる!』と言われて返却を求められた事もありました。借りる時に初めから全部言ったのですが、いかに人の話を聞いていないかが分かるエピソードです^^;。
調べれば調べるほど農地の貸し借りトラブルの多さに驚愕でした。これじゃ農地の集約が進まないのも納得でした。
出荷販売先はどうやって見つける?
これはもう完全に飛び込み営業のようなものを覚悟していました。とはいえ、一次産業者がいきなり小売店とかに行って『買ってくれ!』なんて言っても無理があります。流通の仕組みがあるのでそもそもそんな簡単な話ではないのです。
そこで自分が尋ねたのは地元のJAの『青果物集出荷場』です。この施設は、地域の農家から生産物を集荷して市場のセリに掛ける施設です。業態としては個人ではとても相手にしてもらえない大きな市場や生協、小売店などへの出荷販売代行を担っています。出荷物は1ケースから可能という柔軟さ。しかも組合員じゃなくてもOKという良心的な基準で運営されていました。
殆ど突撃に近い状態で『とりあえずどうすればいいですか!?』と尋ねましたw。そしたら『生産者として登録して、JAバンクで口座を作って、栽培記録を書きながら生産した野菜果物米ならなんでもいつでも出荷OKだよ!』って感じで話が決まりました。
生計は立つかどうかは別として、なんとこれで一先ず売り上げを立てる為の出荷先を確保できました!行ってみるもんですな^^。
実はこの時は運が良かった
と言うのも、当時の施設長がエネルギッシュな30代の方で、しかも年々減っていく集荷量をどうにかせねばと憂いていたところだったのです。
その集荷場では、少しでも集荷量を上げる為に、出荷のハードルを下げたばかりでした。少し前までは出資をした正規組合員でなければ出荷できず、一般人なんかもっての外。JAが欲しいと思った作物だけを栽培するように指導していたそうです。
ここに関しては施設長が変わった今でもお世話になっております。
当面の生活にも関わる資金はどうすればいい?
これは出荷場の施設長から案内があったのですが、当時新潟県では『農業の担い手確保に関する助成金』制度があって、ここには当面の生活費の融資による助成もありました。確か当時は最高年額300万円までだった気がします。早速県庁の担当部署を訪ねました。
制度内容はしっかりしていて、行政のバックアップも付いていた
助成を受けられる人の対象は『事業承継をする者(親子間含む)』、『新規で農地を借り受ける者』、『対象地域に定住し農業を始める者』などとなっていました。10年くらい前の事なので詳細は覚えていませんが、地域農業の担い手を確保し、持続可能な体制と整える為の助成金だったと思います。
それに加えて経験を積む為である事も含めて、営農法人への就職も斡旋していました。講習会を開き、実際に営農法人の話を聞いて、興味がある法人に直接質問などができる機会も設けられていました。
職安のトライアル雇用制度のようなもので、給与の半分くらいを行政が営農法人に代わって負担する仕組みになっていて、そこで経験を積みながら資金を確保する事も推奨されていました。助成期間は最長で5年でした。
実際にはなんやかんやあって助成は受けられなかった
これは今企画の後半になってお話する予定でいますが、自分は最終的にこの助成は受けられませんでした。と、言うよりこの時この助成制度を受けれた人は多くは居なかったと聞いています。
これは行政に問題があったワケではなく、やはり業界そのものの方が問題があったと感じています。農業界も担い手不足とは言っておきながら、実は担い手なんてそこまで望んでないのがホンネだったので、あまり有効な制度にならなかったようです。
同じようなケースに狩猟団体の猟友会に関わる『有害駆除担い手緊急確保事業』でも同じようなオチがありました。その辺のお話は記事企画の後半で。。。
事業計画があっても金融機関では融資を受けられなかった
この辺は余談になりますが、念の為と簡単な事業計画書を纏めて地元の銀行へ相談に行きました。
計画の内容としては、『農地確保に関わる費用』、『資材仕入れに関わる費用』、『出荷物収益の見込み(かなり低め)』のような要領で提示し、約20万円の融資を申し出しました。
結果は惨敗でしたw。
ま、こんなもんでしょうと言う感じではありましたが^^
実はこの20万円と言う金額、出荷収益の見込みの1/3未満の金額だったのです。
当時ロクに貯金も無かった自分にとっては20万円でも借りられれば大助かり。実際の返済はバイトを併用して作物の出荷を待たずに返済をスタートする予定でした。何もかもが間に合わない状況に辟易しながら、現実の厳しさに直面していました。
次回へ続く。。。
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