兼業農家とは?農業が『副業』になっているワケ – 農家辞めます! 
toggle
2021-02-15

兼業農家とは?農業が『副業』になっているワケ

 日本の農業を営む人や家の多くは、普段は別で本業を持っている『兼業農家』が大半を占めています。日本の農業者全体の8割くらいがそうだと聞いた事もあります。

 元々歴史を紐解くと、日本の農業は最初から副業的要素が強かったと言われています。江戸時代には米作、畑作、漁師、大工、土木…と、一人が様々な役割を担っており、村や町全体でそれらをこなしていた。百の姓名を名乗れるくらいなんでもやるとして『百姓』と呼ばれるようになったとか。姓名はそれを名乗る人の職業からきている事も多いみたいですね。

 現代社会と違ってかつての暮らしは大変でした。時間がいくらあっても足りないくらいでした。自分の衣食住は自分で賄わないといけないので、一つの職業で頑張ると言う考え方とは違い、農業もそもそも主業という訳ではなかったようです。

◆会社員をやりながら農業をやるようになったのはいつから?

 日本の農業は基本的に自分の家で消費する分の米や野菜を作るというニュアンスが強く、産業として社会的役割が大きくなったのは戦後の食糧難からだと言われています。この時政府が『猫も杓子もみんな米を作れ!それら全てを政府が買い取る!』と号令をかけて農業の産業化が始まったと、ザックリいうとこんな感じです。この時はまだ社会全体が不安定で、ありったけの土地を田んぼにする事でそれを仕事とし、多くの地域で農業が主業となっていったそうです。たまに不便な形をしてる田んぼがあるのは、この時の区分けによるものと、その後の市街化計画によるものです。

●戦災からの復興を経て経済活動が活発化

 1950年代の戦後復興期から1970年代の高度経済成長期(と、小学校で習ったが)に至るまでの間に一気に沢山の会社ができ、そこで働く人が増え、お金が安定して回るようになると『会社員』である事が当たり前となりました。勿論会社員収入が生活の基盤になり、特に都心に近い地域では田んぼや畑を潰して家やビルなんかを建てていきました。

 この時多くの地方ではまだ経済成長の恩恵を受けておらず、我が家でも今は亡き大爺ちゃん(自分から見て義祖父)は、戦争から帰ってきて以降定職に就く事は無く、実質的に専業農家として生涯営農していたそうです。

田舎では農業が主体、農閑期に別の仕事をする事で豊かな生活を目指した

 1970年代頃までは田舎では仕事らしい仕事はあまりなく、学校を出た若い人は仕事を求めて田舎を出ていきました。ここら辺は今とそんなに変わらないですが、今と違って当時は働く場所自体が無かったので、選択肢は完全に限られていた事でしょう。

 昔話を描くとき、雪が深くなる冬の間は父ちゃんは遠くへ出稼ぎに行ってしまい、田舎に残された女房子供は寒い冬を耐え忍ぶ描写がよく描かれますが、自分が子供の頃に実際にそんな話を聞いた事があるので、大変な時代を過ごしたなと思います。

 時を同じくして1970年代当時内閣総理大臣だった田名角栄先生による日本列島改造論が発表され、日本中で公共事業が盛んに行われるようになりました。これは経済成長の恩恵を受けにくかった地方にとって、その土地で大きな仕事が出来るきっかけになり、土木業者を中心に関連事業者が次々と立ち上がりました。当然地元地域で働き口があればありがたい、当時の農業は今ほど農薬や機械が発達していなかったので農繁期自体が短く、地域によっては5か月に足りないくらいで小規模を耕したりしていたそうです。

 そんな公共事業の台頭もあって地方では、農業以外に割とシッカリした収入減が出来始めたので、特に新潟では田植え稲刈りには纏まった休みを取って、農業が忙しくない時は公共事業に関わる会社で仕事をして日当を稼いでいくようになりました。

●時代の移り変わり、一億総中流社会の流れ

 戦争から立ち直り、復興を果たして、経済を活発にし、沢山の会社が立ち上がった。多くの人が仕事を手にし、給料をもらい、豊かな生活を築いていったこの時代、農地解放によって農地を手に入れた地方でもそれが当たり前になり始め、次第に『会社員が主業、農業は家業』と言う考え方が定着し始めました。

 当時は働けば働く程豊かになり、この時代から約20年に渡って米価は上がり続け、主業の会社員で給料所得を得ながら、耕作面積が1.45ha程度しかなくても結構な収入を得られるようになっていきます。田んぼ1町5反程度なら副業には丁度良かったでしょうね。

 農家が会社員を主業にするのが当たり前になった1970年代後半、爺ちゃん婆ちゃん母ちゃんの三人で営む所謂『3ちゃん農業』という言葉も定着してきました。肝心の父ちゃんは平日会社員をしながら、休日に地域の農家組合の水路の手入れなどに参加するような感じだったそうです。

◆そして時代は機械化農業へ

 1980年代も後半になると全国各地で、特に稲作を中心に農業の機械化が進んでいきました。この頃にはもう農業は完全に副業化しており、専業農家は絶滅危惧種だったと聞いております。下手すりゃ『専業農家はナマケモノ』ぐらいの言われようだったとか。様々な作業が徐々に機械化された事で作業効率は一気に上昇し、これまでより短い時間で作業を終わらせる事が出来るようになりました。

 機械化されてからの農業界はそれはそれで面白い歴史を紡いでいくのですが、その話はまたいずれ。

 色々聞いてみると1970年代の高度経済成長期が現代農業副業化の明確な分岐点だったようですね。因みにジブリ映画『となりのトトロ』では、登場人物が学校の田植え休みの話をするシーンがありますが、あれは時代背景が1950年代頃らしいですね。

 昔から衣食住の根幹になっていた農業、基本的には自分や家族の為の作物なので、『誰かの為に働く職業』とは別の存在だったんですね。そう考えると尚更言いたい事も出てくるのですが、そこはまた別の機会に、ご拝読ありがとうございました。

タグ:
関連記事